文化・芸術

2014年1月26日 (日)

志の輔さんのパルコ落語へ

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毎年の正月おたのしみ恒例となった「立川志の輔イン・パルコ」。
今年はとりわけ面白くて(毎年そう思う?)心に届く演目でした。
超忙しいのに新作も次々作るし、志の輔さんてヘンな人です。
たまたま間をつなぐ友人たちがいて、我が家にごはんやお酒を飲みにきてくれたこともあるんです。
とにかく仕事(落語)好き。そこがなにより信用できる方です。
そんな志の輔落語のあとに行きたい店が渋谷にはなくて、帰ってきてから手早くつくりました。
おいしいお酒を飲みながら。
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<今夜の献立>
・白菜と豚ロース重ね蒸し
・ハタハタしょうゆ干し
・すじこ
・煮豆腐
・ぬか漬け
・八分づきごはん
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2013年12月 6日 (金)

森田芳光監督の三回忌はやっぱり晴天。

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大の晴れ男だった森田さんらしい小春日和の法要でした。
森田監督とは「それから」「失楽園」「阿修羅のごとく」「海猫」と4本の映画で監督と脚本家として組みました。
映画では森田さん、TVでは久世光彦さんがいちばんたくさん仕事をした演出家でした。
もっともっと一緒に作品を作りたいと思っていたけれど、ふたりともいきなりのように逝ってしまって。
淋しすぎますよね。ご両人とも替えが効かない人柄と才能でしたから。
そんな森田さんの三回忌では、彼の好物だった「吹よせ」と、森田さんがこよなく愛した風の街「函館」で撮影した四本の作品の撮影中に通ったカフェや寿司屋、大好きな場所なんかが書かれた地図「森田芳光はこだてメモリーマップ」と、Tシャツを香典返しとしてしていただきました。
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Tシャツは白地と紺地があって、私のは紺地。表には「TARIMO」(MORITAの逆文字)が、裏には森田監督の全作品のタイトルとシンボルマークがプリントされていて、とても心のこもった森田組らしいTシャツです。
大事にしなくちゃ。でも着なくちゃ。
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2013年10月 3日 (木)

大好きな女優・加藤治子さんの面妖伝説その1

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私の向田邦子賞受賞パーティーのとき。左から吉行和子さん、田中裕子さん、加藤治子さん、森繁久彌さん、藤田敏八さん、あたし。
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治子さんは家事を一切やらない、というより出来ないのに、荷造りだけは名人なんです。
大きなスーツケースの蓋を開け、ベッドの上に積みあげた服やストールや靴や帽子や小物をひとつずつ小さくたたんだり丸めたりして、スーツケースにキッチリ詰めてしまうんです。
それなのに一度だけ自分で乾そばを茹でてみたら、2人分のつもりが大きなザルに山盛りになってしまったんですって。
あきらかに分量計算の間違い。
でも荷造りはキッチリ正確にできるのだから不思議です。
しかもその荷造りという行為が大好き。
もう20年近く前、治子さんに誘われてバリ島旅行に出かけたときのこと。
同行の男子2人(実はこの旅行、治子さんとこの仲よしのゲイカップルの新婚旅行の付き添いでした)と夜あそびに出かけようと思い、でも老嬢治子さんには少々刺激が強いエリアに行くので、ホテルでのお留守番をおねがいしました。
「いいのよ、私のことは放っといて。いってらっしゃい」といわれるほど胸が傷んで。そんな私に治子さんは言いました。
「ともみさん、よかったらあなたのスーツケースの荷造り、やり直しといてあげるわよ」。
そんな治子さんを残して私たちは夜のバリの町へ。
まずオランダ人のゲイが集まるバーへ。次はドイツ人ゲイ御用達のバーへ。最後にイケナイ売買が行われているらしいクラブへ。
深夜をすぎてホテルへ戻ると治子さんはまだ起きていて、ヘアには色とりどりのピンが留められていて、部屋付きの大理石の露天風呂に入ったという。
ゲイのひとりが「気持よかったでしょ?」ときくと、「そうね。今夜は蝦夷の湯にしたわ」。
治子さんは別府とか草津とか、いろんな温泉の素を持ってきていて、それを入れてバリの露天風呂をたのしもうとしたらしい。
またしても胸が痛んでしまった。
でもバリ島のアマンホテルの一室で、ひっそりとスーツケースの荷をひろげ、またひっそりと荷を積めて夜をやり過ごす美しき老女優……。
いいシーンですよね。
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2013年5月25日 (土)

国立近代美術館「フランシス・ベーコン展」、ようやく見にいくことができました。たのしかったぁ。

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闇とか歪みとか人間の暗部と結びつけられる画家なのに、どうしてこんなに生き生きしてくるほどたのしいのかしら。
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チケットより『ジョージ・ダイアの三習作」
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この日パンフレットは買わなかった。芸術新潮4月号のベーコン特集がとても良かったので。その誌面の作品を紹介します。
雑誌や画集ではなく、本物のベーコンの絵を見るのは初めて。しかもこんなにたくさん。
見終わってなによりも感じたのは「健全さ」でした。
もちろん文科省スイセンの健全さではないけれど、見ているうちに元気になる、というか気持ちがラクチンになってきて、思わず口もとがゆるんでくる。
少しもウツな気分にならない。ハイにもならないけど、ラクチンになる。
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P.29「歩く人間像」
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ベーコンの絵の人物たちはどんなに枠や檻の中におかれても、身(体)も心(魂)も「こんなに歪めるんだぞ。たわむこともできるぞ。叫べるぞ。溶け出しちゃうことだってできちゃうんだぞ」といわんばかりで、たぶんそれが私の感じたベーコンの健全さかもしれません。
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P.47「自画像のための習作」
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会場には日本の暗黒舞踏の祖でもある土方巽の奇妙なダンスを撮ったフィルムが映し出されるコーナーがあったり、私のだーい好きなアーティスト、ウィリアム・フォーサイス(ダンサー)のベーコンにインスパイアされたダンスが数枚の大きな映像パネルで同時に、いろんな角度から映しだされてるコーナーがあったり。フォーサイスのダンスも見ているうちに身も心もラクチンになって「人間って、こんなに自由でいいんだ」って思えてくるんです。
ベーコンの絵とつながるものがありますよね。
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2013年1月 7日 (月)

大好きな人生の大先輩、女優の加藤治子さんに会いにいきました。久しぶりです。

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久世光彦聞き書き「加藤治子 ひとりのおんな」(福武書店刊)口絵より

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この二年ほど家にこもりがちになってしまった治子さん。でも仕方がない。御年九十をこえたんだもの。 

それでも時々電話をくださって「もういちど、お会いしておきたいわねぇ…」などと、あのか弱く澄んだ声で言われると、胸の奥がキュンとしてしまう。

そうだ、急がなければ。
だって私が大切だと思った人たちはみんな、心残りなまま逝ってしまったんだもの。服部晴治さん(向田邦子さんを一番刺激したTBSの才人ディレクター)、工藤栄一さん、松田優作さん、藤田敏八さん、深作欣二さん、久世光彦さん、森田芳光さんまで…。そんな皆さんと仕事ができたことは幸運だったけれど、もっと仕事をしたかったし、それ以上にもっと会う時間が欲しかった…。

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お正月のひと夜、羽根木公園に近い治子邸にいきました。
この邸宅は私が生まれ育った家と雰囲気がとても似ているので、お邪魔するたびに懐かしく胸疼く思いがこみあげてきます。
夕陽が沈むころに到着すると、治子さんは寝室で眠っていました。マネージャーのひととお喋りをしていると、そっとドアがあいて、治子さんが顔をのぞかせました。
思わず駆けよると、ひとまわり小さく細くなった治子さんがいつものか細く澄んだ声で「あたし、こーんなに小さくなっちゃった」。
でも、キレイです。とっても。
深紅のガウンを着て衿元には黒っぽいスカーフ。髪はバーガンディのような茶に染めて、うっすらとファンデーションもつけています。
私がくるというので、お洒落をしてくれたらしい。しっとりと冷たく細い手をとってソファーに坐ってもらいました。
写真を撮られるのはもううっとうしいようで、今回は一枚しかありません。かつての治子さんの美しさはインターネット上にたくさんあるので、ぜひ探してみてください。
治子さんと初めてお会いしたのは二十数年前。
服部晴治さんの最後の演出になったドラマの本読みのときでした。「ツツイさん、よかったらお茶をご一緒しません?」と声をかけられました。私はまだ駆け出しの新人でした。緊張しながら近くの喫茶店へいこうとしたら、雨が降りだしてしまいました。
治子さんは雨をじっとみつめながら、息苦しそうな表情をしています。『加藤さん、どうかしたんですか?具合でもわるいんですか?」「ううん。雨が降ってるから。雨が降ると空気中の酸素が減ってしまうでしょ。だから息が苦しくて……」。う〜ん。わかったような、わからないような。「面妖(めんよう)な女(ひと)だな」。それが第一印象でした。今もずっと面妖(不思議なさま。怪しいさま)だと思っています。

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そんな治子さんの魅力をことばで表現するのは本当にむずかしいんです。単純じゃないんだもの。
華やかと孤独。怒りと寛容。理知と無知。無頼と慄き(おののき)。菩薩と夜叉。
相反するものを小さな体いっぱいに抱え込んだ治子さんは、とりわけ記憶力が抜群。故・久世光彦さんもいってました。「あのひとは欲張りだからねえ。ひとつも忘れないし手放さい。ぜーーんぶひきずって”地曳き網みたいな女(ひと)”だ。くたびれるだろうねえ」。
効率第一主義の時代のなかで、治子さんは地曳き網みたいに無器用に生きる姿で私たちに”手放してはいけない大切ななにか”を教えてくれるんです。
だから田中裕子さんも、キョンキョンも、風吹ジュンさんも、希林さんも、私なんかだってみんな治子さんが大好きだし、弟子みたいなものです。
もうTVでは見ることがないかもしれない女優・加藤治子さんだけれど、これからも時々「治子ちゃんの面妖伝説」を思い出して書いていきたいと思っています。

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2013.1.3 18:30

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2012年12月16日 (日)

石田えりさんの授業の報告

先週、女優の石田えりさんが芸大の特別講座にきてくれました。
最近始めたというサーフィンによる陽灼けなのかスッピン顔の頬っぺたや鼻の頭をほんのり赤くしたえりは、頑丈そうなロングブーツで薄手のニット風ロングコートをなびかせて登場。
相変わらず元気そうだ。

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今回の授業では、スクリーンやTV画面を通したえりではなく、生物(なまもの)のえりを感じてもらうのがテーマ。
私が聞き手になって"えり"をみせていく。
えりは故郷の熊本から、アイドルを夢見て14才で単身上京。数えきれないくらいオーディションの失敗を重ねてもう諦めかけたとき、映画「翼をください」の主演をつかみデビュー。
これで幸せな生活が始まると思ったが人生はそれほど甘くなく、またアルバイトをして2年後、根岸吉太郎監督「遠雷」で各映画賞を受賞。
このときから、夢見てきた贅沢な暮らしも女優としての名声も手に入れたに違いない。
でも女優を続けるうちに、これは友人としての私の推測だが、えりは心と体のどこかで"飢え"のようなものを抱えていたと思う。知り合った二十数年前から、丸ごとの自分を投げうつことができる"本気"の何かを探していた。
それはなかなかみつからなかったと思う。
たいていの女優は与えられた役をやっていればいいのだけれど、えりは不器用に探しつづけた。
そしてようやく本気になれる企画を見つけた(内容はまだ秘密)。
その時からもすでに十五年以上になる。私も脚本家として与えられたものではなく、自分でみつけ育てていこうとするタイプなのでえりの苦労がよくわかる。
やりたい企画を実現するには10年20年なんてあたりまえ。
その間ずっと魂のボルテージを持ちつづけることが勝負だと思う。
えりはやっと見つけた企画を来年こそ実現したいとねがっている。「ぜったい、やるぞ!」と、生徒たちの前で元気よくコブシを振りあげた。
どちらかというと元気の足りない生徒たちは圧倒されたことでせう。
授業の最後に宿題を出しました。「この石田えりという女優で、どんな映画をつくりたいか」。〆切は来年1月の授業開始まで。
生徒たちがどんな新鮮な企画を思いつくのか、思いつけないのか…。
チャーミングな企画が生まれたら、えりや私も一緒になって育てていきたいと思っています。

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2012年12月10日 (月)

石田えりさんが芸大の授業に来てくれました。

私にとっては慣れたことだけど、えりの無器用なくらいのプリミティブさにみんなおどろいたかもしれません。
こんな天然でマジメな女優って、本当にいないんです。


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2012年12月 2日 (日)

女優の石田えりさんが、私がセンセイをしている大学の特別講義にきてくれます。

私は約6年前から、東京芸術大学・大学院映像研究科の脚本コースをまかされています。

その特別講義に、えりがきてくれることになって。
えりとはもう二十数年来の“友”。いつ会っても、身も心もスッピンな気持ちのいい生きものです。
生徒たちにそんなえりを感受してもらうために、講義の前半では青山真治監督(彼も昨年の授業にきてくれました)作品で、えりも主演のひとりである映画「サッド・バケーション」を観て、後半の一時間半が授業です。
でも、えりは大勢の前で喋るなんて大の苦手。だからどんな授業にしたらいいか、えりにもナイショでいろいろ考えています。
生徒にとってもえりにとっても、大切な時間になってほしいから。
授業は12月10日。
また報告しますね。

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2012年9月19日 (水)

「ミハラヤスヒロ プレゼンツ、真夜中のシークレットライブ、素敵でした!」

日本では靴デザイナーとして活躍しているひとって少ないけれど、三原康裕さんは靴デザイナーとしてだけでなく、ファッションデザイナーとしても、今やヨーロッパでもチャレンジをつづける人。
彼の作る靴やファッションのファンになって、もう十数年になります。

ミハラの昨年度パリコレクションの題材はジョン・エヴァレット・ミレーの「OPHELIA」。
このとき、ルーブル美術館のカルーゼル広場で展示されたミハラのファッションとアーティスト達による映像・音楽の融合で創られたインタラクティブアート作品「OPHELIA HAS A DREAM」は大きな話題になったそう。
そして残暑でむせかえる9月のひと夜、ミハラの仲間でもあるアーティスト達によって「OPHELIA」の世界がシークレットライブとして再現されました。
題して「OPHELIA HAS A DREAM NIGHT」。


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場所は、青山通りと地つづきの青山スパイラル1Fホール。
22:00を過ぎるころには300人をこえるゲストでホールはいっぱい。ダークな照明の壁ぎわにはミハラのコレクション作品と写真が飾られている。
22:45ごろ、登場したのはサムライギタリスト・MIYAVI。日本でいまスターギタリストといえばこのひと。大小の文字の刺青を刻んだ上半身に光沢あるミハラのジャケットをはおり、ビョ〜〜〜ンと紡ぎだした音のセクシーでカッコいいこと!
次に登場したのがタップダンサーの熊谷和徳。
まずMIYAVIのギターとかけ合いをみせる。このひとのタップダンスはいつもエキサイティングなのにスタティック。汗が流れているのにちっとも汗くさくない。プリミティブでうつくしい。
そして最後に登場したのがグラミー賞受賞者でありミハラの恋女房でもあるピアニスト上原ひろみ。この夜の演奏はいつにもましてデリケートで、つややかに熱情的である。たぶん聴くものの胸にさまざまな過去・現在・未来の記憶の映像をよびおこしたと思う。
ギターとタップダンスとピアノとファッション。
こんなにも濃密でエキサイティングでうつくしいライブに出会えることはめったにない。
ライブは約一時間つづき、終電に間にあう時間にサッと終わった。
この時間感覚も歯切れがよくて心地良い。
とても幸福な暑い真夜中のシークレットライブでした。

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2012年8月17日 (金)

仲よしの女優、藤村志保さんと歌舞伎見物

お互いにバタバタしていて、志保さんと会うのは2年半ぶり。
いきなり電話があって、あの美しい澄んだ声で「ともみさ〜ん、お元気〜〜?ね、歌舞伎ご一緒しない?海老蔵が十役の早変わりをする『慙紅葉汗顔見勢(はじもみじあせのかおみせ)』よ」。私も観たいと思っていた、今、評判の演目だ。「いきま〜す」。

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志保さんはいつお会いしても、心と体の芯がスッとしていて気持ちがいい。
かつては大映映画で、勝新太郎や市川雷蔵の相手役をつとめたスター女優。着物を着せれば日本一美しいひとだけれど、洋服姿は………!?だって一緒に飲みにいったりすると、スラックス姿のまま椅子の上に正座しちゃうんだもの。気取らない可愛いひとです。
志保さんといえば、稀代の舞の名手だった故・武原はんさんの舞を身近にいて勉強し、自分なりの藤村流の地唄舞をみつけ出し(武原はんさんは生涯、弟子をとらない主義でしたから)、10年ほど前までは2年に一度、国立大劇場を一日だけ借りきって、たったひとりの舞の会をやっていました。
なんという贅沢、なんという勇気!
体調を崩してその会はしばらく休んでいたけれど、この度70才をすぎてもういちど、舞ってみようと思い定めたそうです。そのために他の流派の舞も勉強して、藤村流をさらに極めていく覚悟とか。
素敵ですよね。がんばれ、志保さん。

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歌舞伎の帰り、志保さんの旦那さま(私はパパゴンと呼んでいます)と合流して、撮ってもらいました。


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